池上正樹×斎藤環が語る、「たとえお節介でも、ひきこもりを指摘し続けるべき理由」
ジャーナリスト池上正樹×精神科医斎藤環の対談(3/3)
斎藤 今、先進諸国が直面しているのは若者の包摂をどうするか。二つの形態の排除、ホームレスかひきこもりしかない状態をどう変えていくか。ですから、日本はむしろモデルケースたり得る。全世界で同居率が高まってきていて、各国で問題視している。たぶん日本に追随するかたちでいろんな国でひきこもりが増え始めます。例えば中国ではパラサイトを啃老族といって、うちの学生の研究テーマでしたが、日本よりその割合が多いことがわかっています。パラサイト=ひきこもりではないですが、これから中国でもひきこもりは増えてくると思う。
そんななかで、日本はひきこもりのロールモデルを提供できるように進歩していってほしいと思います。
池上 この前も、日本のひきこもり現象についてインタビューしたいと、ロイターテレビが取材に来ました。ところが、聞いてみると、やはり、部屋の中にいるひきこもり像という固定観念をプロデューサーは持たれていました。
斎藤 だいたい彼らの論調は予め決まっていて、まず不況で若い世代が社会に希望を持てなくなっていて、昔は鎖国していて今は「甘え文化」があって、みたいな話に落とし込もうとしているわけですよね。
池上 フランスから国営テレビ局の記者が取材に来たときにも、「横並び」というキーワードを使って説明したところ、言葉にすごく反応していました。「個性」が当たり前とされる欧米の先進国では、「横並び」という価値観は理解できないというか、該当する単語自体ないため、日本語がそのまま使われていました。
斎藤 世間体みたいな価値観が幅を利かせているところで増えるのは、ある意味仕方ない気もします。
池上 個性を大事にされない、尊重されないというところですよね。ひきこもりというのは生きる選択肢です。自殺ではなく生き残る選択肢をした人たちですよね。そういう人たちの意志を、「よく生きてくれたよね」と周りが理解してあげつつ、これからじゃあどう生きていこうかと一緒に考えられるような社会にできるかどうかが問われているのではないかなと。これからの国の在り方が問われているような気もします。
池上正樹(いけがみ・まさき)
1962年生まれ。通信社勤務を経て、フリーのジャーナリストに。97年からひきこもり問題について取材を重ね、当事者のサポート活動も行っている。著書に『大人のひきこもり』(講談社現代新書)、『ダメダメな人生を変えたいM君と生活保護』(ポプラ新書)、『ドキュメントひきこもり』(宝島SUGOI文庫)、『痴漢「冤罪裁判」』(小学館文庫)、共著書に『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)などがある。
斎藤環(さいとう・たまき)
1961年生まれ。筑波大学大学院教授。専門は思春期・青年期の精神病理・病跡学。家族相談をはじめ、ひきこもり問題の治療・支援ならびに啓蒙活動に尽力している。著書に『社会的ひきこもり』(PHP新書)、『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』(ちくま文庫)、『ひきこもりのライフプラン』(岩波書店)、『ひきこもり文化論』(ちくま学芸文庫)など。